シープクラブとは

シープクラブ綱領我々シープクラブ会員は、本会入会を自己鍛錬の第一歩とし、会を通じ、会員相互の力量を高め、変わらぬ友情を培おう。
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経済同志会シープクラブは、1979年、(社)佐世保青年会議所の「指導力開発委員会」(委員長 野田郁夫)がその母体となり、翌年、1980年にそのメンバー10名によって設立されたものです。成り立ちからわかるように、経営者として「指導力」を高める事を最大目的として勉強会を続けていたが、10名ではなかなかまともな会議が出来ない、と言う事で2年近く経った頃から拡大を始めました。当時は毎月1度例会を開催していましたが、1985年、現在の須田尾町に事務局を開設し、それとほぼ時を同じくし、福石町の「寿会館」(現アイトワ)に例会場を固定した。その頃、会員数がかなり増えた事から委員会制度を導入しました。当初は「総務委員会」「指導力開発委員会」「経営開発委員会」「社会開発委員会」「広報委員会」の5委員会であり、クラブ設立の最大目的である「指導力開発」を目的として、1泊2日の「LD道場」などが開催されました。が、やがて「社会開発委員会」に代わり、経営者として必要な資質として、シープクラブが設立当初から続けていた「話し方」の勉強を目的とする「話し方委員会」が設立。当時、花園町にあったNHK佐世保支局と連携しながら、数々の行事を行うこととなりました。

また、1986年からは佐世保の夏祭り「西海アメリカンフェスティバル」のテナント担当として関わるようになり、アメリカンフェスティバル終了まで続けました。

シープクラブにとっての最大の転機は、10周年記念事業になります。それまで1月〜12月であった会計年度を7月〜6月に変更すると言う事を一つの理由として、1989年、クラブを挙げ取り組み、6月に田中真澄氏の講演会と、これまでクラブでお世話になった皆様などをお招きし、寿会館で盛大に成功裏に終わりました。その際、4月に設立したばかりのシープ協同組合も披露し、これからますますクラブが成長していくだろうと言う事を予感させた会となりました。

だがその後、会の存続すら危うくなるほどの大事が出来します。

その騒動後、せっかく設立された協同組合はクラブから完全に分離され、別組織となり、クラブはとにかく、まずは存続を図ると言う事で友情に重きを成した形で運営されていきます。それからすでに20年以上経っているわけですが、JC、ロータリークラブなどのように、全国的な組織がない、単独のクラブが継続すると言うは本当に貴重な事だと思います。

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シープクラブの最大の魅力は、実は講演会でもなく、例会でも委員会でもないと思います。そう言う活動を通じて出来上がる、先輩たちとの交流、それが一番の魅力です。こいつは仲間だと認められる事、それがシープクラブの最大の魅力であり、最大の利点だと思います。出来る範囲でかまいません。シープクラブのメンバーであると言う自覚を持って、可能な限りがんばる事、それがシープクラブの魅力を最大に感じるための条件だと言ってよいと思います。

経済同志会シープクラブ八代会長 中田 博之