開催場所:アルカスSASEBO中会議室
日時:令和7年2月25日(火)18時45分~20時30分
内容:講師例会「二刀流アナが目指すラジオの未来~地方から全国に繋がる~」
講師:NBCラジオ 佐賀局長 兼 アナウンサー
担当委員会:リーダーシップ開発委員会
2月25日(火)アルカスSASEBO中会議室にてNBCラジオ佐賀局長兼アナウンサーの村山仁志氏に「二刀流アナが目指すラジオの未来~地方から全国に繋がる~」をテーマにご登壇頂きました。
「ラジオつけているかのようにお聞きください」と始まりました。
地方にいながら二刀流どころか四刀流
2023年4月からNBCラジオ佐賀局に局長兼アナウンサーとして赴任。佐賀新聞では創刊140周年記念の連載小説を担当。小説のイラストもご本人が作成。宝塚歌劇団宙組にも脚本を提供など、ラジオ局長、アナウンサー、小説、脚本、イラストも一人で手掛けられています。
2018年には、放送界のアカデミー賞といわれる。ギャラクシー賞受賞。翌年と、2022年には司会を任される。
(2019年受賞者は、菅田将暉さん、チコちゃん、2022年は、草彅剛さん)
やる気ある若者は、調子に乗らせておけば勝手に何かやります
高校3年生の時、不登校となる。その後予備校に通い、学力は高い水準であった。日本大学芸術部放送学科に入学。
TBS新堀俊明アナウンサーが2年生の講義をしており、早速どうしたらアナウンサーになれるかを尋ねに行く。「アナウンサーに関係ないことをした方がよい」と。当時のTBSなどは採用の際に学生時にアナウンサーの真似事をしている学生は受かりにくい。そう言われ、「ミュージカル研究会」に入部。当時100名もいたそうです。
オートバイやアルバイト脚本を書くなど大学生活を楽しんでいたそうです。
夢は、やはりアナウンサー。東京キー局7000倍の倍率、惜しくも不採用。故郷、長崎のNBCを300倍の倍率で採用となる。当時を思い出して「大学生の時は、アナウンサーに絶対なれると思って、疑わなかった」
その後、30代半ばで「このままでは死にたくない!小説家になる」と宣言。2009年三井雷太というペンネームで小説家デビュー。ご自身の努力は勿論だが、強い信念とやる気がある時、必ず人を介して目標達成へと導くように感じます。
時折、チャレンジをする人がいると、(二刀流など)本人に近しい間であるほど、心配が勝り、現状の力不足などや実現的に難しいという理由で諦めさせたり、批判したりする事がありましたが、村山氏や大谷正平氏がなしえている現状を見ると、失敗してもこれも勉強と捉え、色んな道を試す間にいつかたどり着くのだという村山氏の考えは多くの人に勇気を与え、未来が予測不可能な今日に至っては、とても大事なマインドセットだと改めて実感させられます。
自分自身信じていることは、やってみる(やってみさせる)
ギャラクシー賞受賞の経緯も面白い。なぜ、地方のアナウンサーが受賞出来たのか。賞の審査員は13名ほど。2018年、8/9の長崎の放送局は何を放送しているのという事でNBCラジオを聞いていた。その時の放送が、村山氏がアナウンサーを務め生放送で平和公園に訪れる人に突撃レポートを行うという番組であった。驚いた審査員たちは村山アナウンサーとはどういう人なのだという事を調べ、小説家でもある事に更に驚いての受賞だった。アナウンサーと小説家という事は勿論ながら、会社では、8/9に突撃レポートはあまりにもリスクがあると会議でも反対意見があったが、村山アナの瞬発力ならなんとかなると放送された。
この「信頼と寛容」がなければ、村山氏のギャラクシー賞はなかっただろう。会社の風土や環境がいかに一人の才能に影響を与えているかと思うと、経営者、管理者の判断は重要になる。
質疑応答では、地方になぜとどまるのか、フリーになぜならないのかなどの質問があった。今は、ネットの普及で地方でも会社員でも発信がいくらでも可能である。自分の選択で活動できる時代であると有田町のお話を交えて語られた。
謝辞では、平倉会長より「午前0時のラジオ局、拝読させて頂き、感動で泣いてしまいました。」の発言を受けて「私も泣きながら執筆しました」とユーモラスな村山氏。
当日は、ハードスケジュールの中ご講演頂きありがとうございました。
3月7日、PHPより最新作の「午前0時のラジオ局ー満月のSAGAー」が発売されます。
江頭委員長による開会宣言、森下副委員長による綱領唱和。
平倉会長による会長挨拶。
各委員長による委員会報告
リーダーシップ開発委員会 中村委員長
修己治人委員会 松本会員(代理)
会員交流委員会 豊島専務(代理)
45周年記念事業委員会 江頭委員長
司会進行は講師の村山氏と同じNBC勤務の中村委員長。
NBCラジオ佐賀局長兼アナウンサーの村山仁志氏。
「ラジオつけているかのようにお聞きください」と始まりました。
質疑応答は森下副委員長、海田会計、 浦崎会員。
謝辞では、平倉会長より「午前0時のラジオ局、拝読させて頂き、感動で泣いてしまいました。」の発言を受けて「私も泣きながら執筆しました」とユーモラスな村山氏。
閉会宣言は立石副委員長。